アラブ諸国では、同じ政党、同じ指導者が長い間、権力を独占していることが多い。

それを、民衆がデモにより、大統領の退陣を求める、それが成功したのが、2010年の12月末に反政府デモが広がり、2011年1月14日にベン・アリー大統領が国外に亡命した。

これが、アラブの春の始まりです。この呼び方は、チェコスロバキアの首都のプラハで自由を求める運動を「プラハの春」と言ったことから、それを真似して名付けられました。

チュニジアでの概要

ある青年が路上に露店を広げていました。

無許可でした。

それを見とがめた警官がビンタをくらわせて、立ち退かせました。

青年はすっかり落ち込んでしまい、焼身自殺してしまいました。

arab1a アラブの春はチュニジアの成功から始まった

青年に共感する形で、市民たちの警察、政府に対しての不満が高まりました。

連日、若者を中心に抗議デモが組織実行され、全国に広がりました。

それで、ベン・アリー大統領はサウジアラビアに亡命して、権威主義体制が崩壊します。

エジプトがチュニジアに続いた

チュニジアで長期権威主義政権が倒れたなら、エジプトでもできるのではないかと考えました。

当時、エジプトではムバラク大統領が30年にもわたる長期政権を続けていました。

ちなみに、権威主義政権とは1部の少数の権力者がものごとを決めてしまうような政治体制をいいます。

そして、エジプトでもチュニジアのように、数万から数十万の普通の人々が連日座り込みをしました。

そして、「ムバラク大統領の退陣を要求」をスローガンに続けられました。

それが2週間ほど続いた結果、ムバラクは辞任を表明しました。

アラブの春はリビアでおかしくなってくる

リビアはカダフィ大佐が42年間最高指導者として君臨した国です。

チュニジアとエジプトを見て、リビアでも反乱が起きます。

しかし、ここには最初から、EU、国連が介入してきます。

フランス、イギリス、アメリカが中心になります。でも、アメリカはイラクの泥沼があるので、あまり、乗り気ではなかったので、NATOを全面に出します。

その結果NATO軍の空爆により、カダフィ政権は崩壊し、カダフィ大佐は反乱勢力により殺害されます。

シリアは代理戦争

シリアはアサド政権なんですが、現在は父親のハーフィズから世襲したバッシャール・アサドが大統領です。

厳しい独裁政権体制をとっていたので、反政府運動は起きないだろうと思われていました。

しかし、反政府の落書きをした子どもが官憲に逮捕、惨殺されたことにより、デモと政府批判が広がりました。

リビアの時のように、国際社会は積極的に介入をしませんでした。

しかし、トルコとサウジアラビアが反政府側を支援しました。

シリアのアサド大統領が反米でイランを協力関係にあるからです。

つまり、シリアはイランとサウジアラビアの代理戦争のようになって、います。